TRICLICKS バイク用 ゴーグル スタイリッシュ 曇り止め 【保障できる】 好評にて期間延長 調節可能 男女兼用 おしゃれ メガネ対応 マルチカラーレンズ

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商品の説明

 特徴: "span"
1、優れた材質を採用して、人体にやさしい。
2、高温環境でも変形など容易ではない。
3、砂や昆虫および飛んだ小さな粒子や破片から目を保護します。
4、折りたたみ式の製品なので携帯にとても便利です。
5、バイク用、スキー用などの外出活動に適用します。
6、もし何かの問題がありましたら、弊店をご連絡してくださいませ。弊店は一生懸命にいいサービスを提供しております。

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古代文化第73号表紙
古代学協会の発行する学会誌第73号に、城歩きマンの投稿文が掲載されました。副題に「福井県の埋蔵文化財保護行政」が付されていますが、エッセイとして、来し方を振り返って思い出に残る福井県の保護行政を述べよ、と言うものでした。

古代学協会は関西では著名な研究誌で、斯界のものなら知らねばもぐり、と言われかねない研究誌です。そこからのオファーで大変光栄なことでした。思い出は一杯あるけれども、何をどうやって表現したらいいだろうか、と考えあぐねて、結局一番胸に残る思い出、としてあまり考古学の一々については整理できませんでしたが、いくつかのエピソードを書き連ねてみました。いつかはこうした、自分史みたいなものを残さねば、と思っていたところでしたので精一杯書かせてもらいました。

お粗末な内容で、後から読み返してみて冷や汗が出ますが、既に2,3人の方々からご高評をいただきました。
それにしても、福井県の文化財の分野に於ける足跡を綴ったものは今まで出されておらず、後出の研究者の拠り所がない、と言う淋しい事態になりつつあります。
個別には発掘調査報告書が刊行されていて、その都度、各遺跡からみた研究史的な足取りは辿れるようになっていますが、トータルな視点からの調査研究の記録や報告書がまとめられていないと言うことです。城歩きマンもかつては同じ分野に籍を置いていたものとして、責任の一端を感じていますが、なかなか一人では追いついていかないものがあり、考えあぐねていたところに今回の話が…。

むかし、福井県史が発刊されて、別巻として『歴史、考古に関する年表』や『県史編纂に関する記録』と言ったものがつくられてはいますが、それとて、もう20年以上も経っています。ここらで福井県に於ける考古学の研究成果、と言ったものを県内で関わったものの手によって、何らかのかたちでまとめていく流れがあってもいいのではないか、と思っています。
過去50年ほどの研究史を体験している人たちがご存命のうちに…。
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丈競山にかかる朝日(2016年夏撮影)
新しい年が明けました。6回目の年男になりました。生まれた年を入れると7回目です。
実に穏やかな元日を迎えることが出来ました。

三が日、どこへも行かず、家でジッと静かに…。

今年の抱負は?
今までいろいろと述べたとおりです。目新しいことはありませんが、与えられた任務をそつなく、確実にこなす。ポカミスがないように。

それにしても年明け早々から、一乗谷城に関するシンポジウム、越前焼に関するフォーラムが催されるようで、にぎやかになりそうです。
そして今年の秋には朝倉氏遺跡博物館の開館。
そこに焦点を当てての様々な行事が目白押しです。

それにつけても年明け早々からボヤキたいわけでもありませんが、朝倉氏遺跡資料館の催すこうした行事には少し偏りがあるのでは?
山城と越前焼とマスコミに阿るような、センセーショナルな戦国時代論…。

これまで地道に形成されてきた戦国城下町論や陶磁器の研究に関する議論はどこへ行ったのでしょうか。考古学や建築史学、民俗学的な学際研究の進展はあるのでしょうか。かつて同じ穴の狢だった城歩きマンがいうことでもないのですが、それにしても寂しい。

秋の開館時にはそうした研究の発表が用意されているのでしょうか。そこに一縷の期待を持って見守っていきたいと念じています。
鷲ヶ岳遠望(永平寺町四季の森から)
2021年は本当にいろいろなことがありました。
毎年同じ事をいっているようですが、今年は特にたくさんの出来事があって、めまぐるしい一年でした。

吉野ヶ岳遠望(B&G総合グランドから)
昨年も、よく体がもったなァと、自分を振り返って不思議な感慨に打たれたものです。今年はそれに輪をかけて忙しい時間を過ごしました。その分、仕事に打ち込めたということ、感謝しなければなりません。
一昨年中止のやむなきに至った山城の講座、かたちを変えて福井新聞社さんのお力で実現できました。10月と11月に一乗谷城、波多野城と続けて登城できました。これも思いがけない偶然の重なりで、周りの方々のご支援あってのこと、実現できたことに感謝。

次いで波多野城跡の踏査。地元の保存会で馬車道の調査をやっていて、それに同調して一緒に何度か城跡を探査したこと。お陰様で、古道を確認しましたが、まだ他にもいくつか古道が見つかりそうで、今後の課題となりました。
また、観音峠付近で堀切、曲輪が3ヶ所確認され、波多野城跡の範囲が広がっていることも分かりました。西端部の城山古墳群とマーキングされた遺跡も寺院群か山城か、今後の検討の余地を残した現地踏査となりました。

3つ目はあわら市の神宮寺城跡。こちらもあわら市の指定史跡に昇格。見学の遊歩道の整備に参画しました。今後は史跡の整備計画づくりに本腰を入れた取り組みが始まります。

4つ目は鷲ヶ岳城跡の補足調査。山頂から南側の尾根筋に堀切、曲輪が見つかったとのこと。伝説ばかりが先行して、本当に山城かどうか疑問視されているところだけに、この話は再調査する絶好の機会となりました。今後、この堀切、曲輪の遺構を山頂部とどう関連付けるか、大いに注目されます。

島集落に残る宝篋印塔
5つ目は吉野地区の吉野ヶ岳を中心とした遺構分布調査。蔵王堂の絵馬の調査から始まって、板室の現地踏査、島の宝篋印塔の周辺調査等々山岳修験道の拠点として栄えた上吉野の歴史を蘇らせる作業。これはとても大きな課題だけに、一朝一夕に実現できるものではありません。始まったばかりです。
地元を含めて、様々な働きかけを通じて一つずつクリアーしていかねばならない事業だと思われます。今年はその第一歩が踏み出せた年かナ、と思っています。

第2回文化財企画展展示風景
最後は曹洞宗大本山永平寺の前身と目される大佛寺山を踏破したこと。標高800mを超す高い山奥のことで、これを踏破するのはいつの日か…、とずっと先のことと思っていたのですが、回りの後押しのお陰で遂に踏破できました。感謝。
いわゆる祖跡コースとして永平寺の開祖道元が吉峰寺から永平寺(ここでは前身の大佛寺)を修行のために往復したという尾根道があり、これを踏破することが出来たのです。今年の収穫の第一に挙げねばならない出来事です。

来年こそは、少しはゆっくりできるどうか、全く予測は出来ませんが6回目の年男になる年でもあり、急がず、慌てず、少しだけ実りある年にできたらナと思っています。
林道大仏線から波多野城跡を望む
大佛寺は後世に伝わる記録では、寛元二年(1243)にこの地に開かれたと言われています。

「1243年(寛元元年)に道元禅師は吉峰寺に入りましたが、翌1244年(寛元二年)
にはここに大佛寺を開堂しました。この大佛寺は永平寺の前の寺名で,永平寺3世
義介禅師の時に現在の場所に移されたと推定されています。道元禅師はこの場所で
『正法眼蔵』を著述し、1246年(寛元四年)には寺名を「永平寺」と改めました。

(現地の説明板より)

仙尾山手前の林道と山道の交差点にある説明板
石列で囲われた奥の一段高い場所には4体の石仏がバラバラに置かれていて、岩がゴロゴロ無造作に散らばっています。
ここも寺域の範囲になるのでしょうが、中心部はこの一角の南側、笹藪になっている平地一体だと思われます。大きく2,3段になって広がっている平地、東西南北約30m四方はあるでしょうか、寛元二年に法堂や僧堂を整備し、あらかたの伽藍配置は整ったと言われていますが、そこから、この場所では狭すぎるとして、道元が最初に立てたのはやはり現在の場所に移ってからだという意見が厳然として立ちはだかってきます。

Under Armour ボーイズ ライバル フリース プリント ジョガー大佛寺山山頂
しかし話が重なってきますが、城歩きマンは当初の伽藍が、言われるようにきちんと整えられたものとは思っておりません。今、目の前にしている大佛寺跡はその後の道元の法話の中に示されるように、山深い、谷奥の庵から出発した、という印象が当たっていて、的を得ているように思えます。

大佛寺跡遠景(大佛寺山斜面から)
一日も早く、当否の事実を得る方策を立てるべきだと思います。大本山永平寺がこうした、寺発祥の問題を軽々しく扱うようなことは絶対ない、と思うのですが、なんだか天皇陵の問題にダブって見えるのは城歩きマンだけでしょうか…。
大佛寺跡(近景,南から)
現地の踏査を終えて帰途につきます。下りの道は上りの道にも増して急勾配で下っています。石段や擬木の階段があるのはあるのですが、谷道で,毎年、毎年の雨や雪で崩れ、あるいは流れて非常に歩きにくい山道となっています。直ぐ横が谷川で、どうかすると谷川をまたぎながらの下り道でした。

祖跡コース順路2(国土地理院電子地図を引用、一部改変)
下山して永平寺ダムの大仏湖に到着したのは午後4時30分を回っていたかと思います。いろいろと肉体的にはきつい山行きでしたが、大佛寺跡の現地踏査という観点では得がたい経験をした、という貴重な一日になりました。
途中の祝山から仙尾山にかけては、「湯谷・大仏線」の林道が交差する場所があり、その林道を歩きながら、九頭竜川の北に見える奥越山地、さらにその奥の白山連峰の山並みが時折陽のさす晴れ間から雪を被っているのがみえて一同感激。これも山歩きならではの得点です。参加者一同、口々に今度また来よう、来ようと同じ台詞を口走る始末。

大佛寺跡の位置(緑の○)
今日の無事に対して山の神様に感謝。
祖跡コース順路1(国土地理院電子地図より引用)
以前にこのブログで、松岡吉野地区の吉野ヶ岳「板室」のご紹介をしたばかりですが、こちらと同様、遺跡地図の所在地の記載が間違っているのも同じで、実際に登ってみての位置確定だったのかどうか、疑わしい限りです。県のホームページにも紹介されている遺跡地図のことです。誰かが、この地図の通りに登って、道を間違えたり、現地に到達できなかったら問題です。早いうちに修正をお願いしたいところです。

永平寺町吉峰寺本堂
さて、目的の大佛寺跡、やっとの思いで完歩しました。12月3日、19万歩、距離にして約14㎞歩き通しました。
意外にも山は雪でした。いまになって考えると当たり前かと思いますが、しっかりと雪が積もっていました…。標高800mを超す高さです。下界では全く気配がありませんでしたが、山頂の尾根線伝いは5~10㎝の雪が積もっています。その雪を踏みしめながら、吉峰寺の裏手から祝山(標高705.3m)、仙尾山(標高818m)を越えて、目指す大佛寺山(標高807.3m)まで踏破。

吉峰寺の奥にある座禅石
この時期、この山峰、きつい山行きでしたが何とか参加された他の5名のパーティメンバーに支えられて,無事完遂。感謝。

祝山山頂(しっかりと雪が…)
途中、波多野氏の妾が入水したという伝説の血脈の池があります。三日月形をした,本当に小さな池ですが、泥で埋まっていたものを、地元の有志の方々が泥浚いして、また元の通りの水を湛えた神秘的な池に戻したと聞きます。

林道大仏寺線から白山連峰を望む
大佛寺跡はその規模、面積的なキャパシテイの問題と、高さと谷奥という位置的な問題があって、最初の永平寺の伽藍を備えた寺ではなかった、という意見があって、二つに分かれています。これが現地調査の進まない、最大の要因だと思われます。
実際に歩いてみると、『永平寺史』に書かれているほど規模の小さな、貧弱な寺のようには感じないということ。<この項続く>